『季節の記憶』で何よりも実在なのは稲村ガ崎周辺の風景だ。 『僕』と息子と松井さんの妹の美紗ちゃんが、毎日のように歩くいろいろな散歩のコースは、 ほぼ小説に書いてあるとおり歩くことができる。 |
『一の谷戸』周辺(39ページ) | 『古戦場跡の公園と崖』(42ページ) |
『オバケ屋敷』(67ページ) | 『鎌倉市営プール』付近(39ページ) |
『坂の途中の眺め』(109ページ) | 『複雑に入り組む道』(112ページ) |
『自足する山』(114ページ) | 『切り通しを眺める』(315ページ) |
『バス停のラストシーン』(316ページ) | -------- |
『草の上の朝食』を書き上げて一年たった頃からすでにぼくは 長い小説を書きたくなっていたが、 中心にする人物が思い浮かばなかったので書きはじめられなかった。 語り手の『僕』のことではない。『松井さん』だ。 一つのヒントは稲村ガ崎に実際に住んでいる高瀬さんだった。 |
はじめて高瀬さんと外で会ったとき、高瀬さんが背が高くてびっくりした。 それほど高瀬さんは座っている事が多い。つまり変化に乏しい。 『キャットナップ』(『猫に時間の流れる』に収録)のガイラさんのように、 借家を勝手に改造してしまうような行動的な一面がほしいと思って、 それでは夏のあいだだけ浜辺でアイスキャンディーを売りをするような人は どうだろうと考えているうちに石田君がいたことを思いだした。 石田君は親の仕事を継いで板金屋をやっているのだが、 みんなから頼まれてあれもこれも直しているうちに、塗装も屋根も床も天井も、 家一軒まるまる面倒をみるようになってしまった。 そんなわけで『松井さん』の仕事が石田君の延長線上の便利屋と決まり、 それに前途のガイラさんと『夏の終わりの林の中』(『この人の閾(いき)』に収録)で 稲村の朽ち果てそうな一軒家に住み、屋根にブルーシートを被せて、 思弁的で不可解なことをしゃべる佐伯さんのキャラクターをブレンドすることにした。 佐伯さんのモデルは「たらば書房」という鎌倉の本屋の伊藤さんで、 伊藤さんが住んでいた朽ち果てそうな一軒やの屋根に ブルーシートを被せたのは石井君だった。 そのブルーシートを被せた伊藤さんの家の隣が高瀬さんの家で、 まだお互いの交流がなかった当時、 朝・昼・夜と時間帯を問わず人が出入りしている二軒の家は、 一方は一方を過激派の生き残りと想像し、 もう一方はもう一方をヤクの売人かなんかだと思っていた。 和歌山の蝦乃木・同性愛者の二階堂・「僕」と二階堂との会話に出てくる遠藤 『松井さん』が決まるとあとはスルスル決まっていった。 僕の小説は実在の人物ばかりをモデルに使っている思われるかもしれない。 事実そうなのだが、『僕』の息子の『圭太(クイちゃん)』のように、 モデルが人間ではなくてうちの猫だったという例外もある。 |
1956.10.15生まれ 4歳まで山梨で育ち、以後鎌倉。 現在は世田谷在住。 西武コミュニティカレッジで講座企画を担当。93年に脱サラ(ほんとはキレた)し、本格的著作活動に入る。 小説家になることにしようと決めたのは、高校3年生の夏休み。 しかし、はじめて小説を書いたのは大学の5年目。 大学6年の時「NEWWAVE」という同人誌を出すが、1号でつぶれる。 30歳を目前にして尻に火がつき、本気で小説を書くことにして、「ヒサの旋律の鳴りわたる」(約100枚)、「グノシエンヌ」(約70枚)の二作を書く(どちらも未発表)が、その後語り口をガラリと変えて「プレーンソング」を書いた。 主な作品 1990年「プレーンソング」(講談社)デビュー作 1993年「草の上の朝食」(講談社)野間文芸新人賞 1994年「猫に時間の流れる」(新潮社) 1995年「この人の閾(いき)」(新潮社)芥川賞(95年上半期) 1996年「季節の記憶」(講談社)平林たい子賞(97年)・谷崎賞(97年) 1997年「羽生ー21世紀の将棋」(朝日出版社) 1997年「残響」(文芸春秋社) 保坂和志オフィシャルHP http://hosakakazushi.com/ |